定期点検の記録には「異常なし」とはっきり書かれていた。担当者は端子の締付も確認し、外観にも異常は見当たらなかった。それなのに、その数か月後、同じ制御盤の同じ端子まわりが焼け焦げて発見される——電気主任技術者や設備管理の実務に携わっていれば、一度はこの手の話を耳にしたことがあるはずだ。
点検表に不備があったわけではない。担当者が手を抜いたわけでもない。それでもなお、「異常なし」の判定と、水面下で進行していた劣化との間には、埋めがたい開きがあった。この開きがどこから生まれるのかを理解しないまま次の点検に臨むと、同じ「異常なし」を、また同じように積み重ねることになる。
目視点検が緩みを見逃す理由
端子の緩みや接触不良は、電気設備に関する技術基準を定める省令第7条が本来禁じている状態である。電線の接続部分は電気抵抗を増加させないように施工しなければならない、という条文だ。施工直後の検査でこの条文を満たしていたとしても、そこで話が終わるわけではない。ネジは振動で少しずつ緩み、金属は通電と停止の繰り返しで伸び縮みを繰り返す。接続部の電気抵抗は、竣工検査の一枚のスナップショットではなく、時間とともに変化し続ける値なのだ。
ところが、この変化は「形」には現れにくい。緩んだ端子のネジ山は、外から覗き込む限り、締まっているネジと見分けがつかないことが多い。接触抵抗が上がったこと自体は、電流を流していない静止状態では絶対に見えてこない性質の異常であり、目視点検が本来得意とする「部品の姿・位置・変色の有無」の外側にある。
一般社団法人日本赤外線サーモグラフィ協会が示す事例でも、ボルトの緩み・締めすぎ・腐食などによって端子の接触抵抗が増加し高温になる、という現象そのものが取り上げられている。ここで起きているのは単純な物理現象だ。電流が流れる経路の抵抗が上がれば、その部分だけがジュール熱を過剰に発生させる。目視点検が見ているのは「静止した部品の姿」であり、稼働中の熱点検が見ているのは「電気が流れているときの部品のふるまい」である。両者は、似た対象を見ているようで、実はまったく別の情報を読み取っている。「異常なし」だった点検が事故を防げなかった核心は、ここにある。
赤外線サーモグラフィは何を可視化しているのか
すべての物体は、その表面温度に応じた強さの赤外線(熱放射エネルギー)を常に放出している。赤外線サーモグラフィは、このエネルギー量をレンズで受け取り、画素ごとの強度分布を温度分布に変換して画面上に表示する装置だ。専門用語では、この赤外線放出のしやすさを示す指標を放射率と呼ぶ。日本アビオニクスの技術資料は、放射率を「物体が熱放射で放出する光エネルギーを、同じ温度の黒体(放射率1の理想的な物体)が放出するエネルギーを1とした時の比率」と定義している。
理屈だけを聞くと単純そうに思えるが、電気設備の点検ではこの放射率が厄介な壁になる。日本アビオニクスの参考値表によれば、みがいた銅の放射率は0.018、みがいた銀は0.02〜0.03程度しかない。金属類はおしなべて放射率が低く、赤外線の放出そのものが乏しいのだ。放射率が低い物質は、その分だけ反射率が高くなる(ある波長の光が物体に当たったとき、反射率・透過率・吸収率の和は常に1になるためだ)。つまり金属の表面は、自分自身の熱をあまり出さない代わりに、周囲の熱源を鏡のように映し込みやすい。照明や人体、隣接する高温機器の熱を反射して、実際の温度とは異なる値を示してしまうことがある。
このズレを補正するのが、放射率の設定作業だ。現場でよく使われる方法は、対象物に黒体塗料(放射率がほぼ1の塗料)を一部塗布し、その部分の指示温度と実際の温度が一致するように、カメラ側の放射率設定値を調整していくというものだ。機種によっては、既知の温度を入力すると放射率を自動で逆算する機能を備えたものもある。原理を知らずに初期設定のまま撮影すると、金属部品ほど実態とかけ離れた温度が表示されかねない、ということになる。
点検で見つかる典型的な異常
赤外線サーモグラフィの点検対象は、端子まわりに限らない。富士電機の活線診断サービスが挙げる診断対象には、断路器・変流器・ヒューズ付負荷開閉器・電動機・MCCB・配線・端子台・接続クランプ・支持碍子・ボルトなど、盤内外の幅広い部品が並んでいる。共通しているのは、どれも「電流が流れることで、劣化や不良が発熱という形で顕在化する」部品だという点だ。
| 典型的な異常 | サーモグラフィ上での見え方 |
|---|---|
| 端子の緩み・接触不良 | ボルトの緩み・締めすぎ・腐食による接触抵抗の増加が、周囲より明らかに高い局所的な熱点として現れる |
| ブレーカー内部の劣化 | 開閉を繰り返した可動接点が摩耗すると、内部の接触抵抗が上がり、外装越しにも周囲より高い温度として検出できることがある |
| 不平衡負荷(相間の電流差) | 三相のうち特定の相にだけ電流が偏っていると、電流の2乗に比例して発生するジュール熱の差が、相間の温度差として現れる |
| 接続クランプ・支持碍子の異常 | 接続部の緩みや絶縁劣化による部分放電・漏れ電流が、周囲との温度差として現れることがある |
これらに共通するのは、電流を止めた状態では原理的に観測できない、という一点だ。八千代ソリューションズの解説が指摘するとおり、稼働中でなければ発熱そのものが起きないため、活線状態での計測が診断の前提になる。
点検の実施条件——負荷率・環境・判定基準
診断の精度を左右する条件は、大きく分けて三つある。
一つは負荷の状態だ。八千代ソリューションズの実施手順では、電気設備は定格負荷の70%以上がかかった状態で診断することが推奨されている。軽負荷の状態で計測すると、接触抵抗が多少増加していても発熱量そのものが小さく、異常が温度差として表れにくいためだ。
二つめは測定環境だ。直射日光が当たっている面、風が当たって冷やされている面は、いずれも実際の発熱状況とは異なる温度を示す。同じ解説では、直射日光・反射・風の影響を排除した状態での計測が求められている。
三つめが判定の物差しだ。八千代ソリューションズが示す手順では、周囲温度との差(温度上昇幅)を基準に、おおむね次の4段階で優先度を評価する。
| 周囲との温度上昇幅 | 目安の評価 |
|---|---|
| 10℃未満 | 正常〜経過観察 |
| 10〜30℃ | 要注意 |
| 30〜60℃ | 異常 |
| 60℃以上 | 緊急 |
数値そのものより重要なのは、単発の絶対温度ではなく「周囲や同条件の他部位との差」で判断するという考え方だ。同じ手順は、計測結果を対象ごとに撮影・記録し、設備台帳に紐づけて前回計測と比較するトレンド管理までを、診断の一連の流れとして位置づけている。
誤診断を避けるための注意点
放射率の壁は、点検を実施する側にも影を落とす。低放射率の金属部品は反射の影響を受けやすいため、「熱く見えたが実は反射だった」「本当は発熱していたのに反射光に紛れて見逃した」という両方向の誤診断が起こり得る。撮影角度を変えて熱点の位置が動けば反射の疑いが濃厚になる、というのが現場での簡便な確認方法だ。
もう一つの防御線が比較診断である。異常が疑われる部品だけを単独で見るのではなく、同じ負荷条件にある他の部品(同一機種の他の相、隣の同型ブレーカーなど)の温度と並べて評価する。絶対値としての温度が多少高くても、同条件の他部位も同じように高ければ環境要因である可能性が高く、その部位だけが突出していれば異常の可能性が高まる。対象の材質・熱特性を理解したうえで診断計画を立てることが、誤診断を減らす鍵になる。
定期点検への組み込み方
赤外線サーモグラフィ点検に、法令で定められた一律の実施周期があるわけではない。だからこそ、既存の年次点検・中間点検の枠組みに組み込み、同じ箇所を継続的に比較できる状態を作っておくことが実務的な落としどころになる。単発の測定値だけで「異常あり・なし」を判定するのではなく、設備台帳に前回との比較を積み重ねていくことで、緩やかに進行する劣化の兆候を早い段階で拾い上げられるようになる。
「異常なし」の記録は、間違っていたわけではない。ただ、その記録が答えていた問いと、事故を防ぐために本当に答えるべきだった問いが、少しだけずれていた。稼働中の熱点検を点検項目に加えることは、そのずれを埋める作業にほかならない。
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