点検報告書には「異常なし」の一文があった。油中ガス分析の数値はどれも基準値の内側に収まっており、担当者はいつも通り報告書に目を通し、保管棚へ戻した。ところが数日後、別件でタンクの点検窓から中を覗いた作業員が、ふと手を止めた。以前は琥珀色に近かったはずの絶縁油が、赤茶色に濁って見えたのだ。数値は「異常なし」と言っている。しかし目に映る色は、明らかに何かが進んでいる。この二つの情報が食い違って見えるとき、設備担当者はどちらを信じればいいのだろうか。
1. 油中ガス分析が見ているもの、見ていないもの
油中ガス分析(DGA)が変圧器診断の主役として扱われているのには理由がある。内部で局部的な過熱や部分放電が起きると、絶縁油や絶縁紙がわずかに分解し、水素やアセチレン、エチレンといった特徴的なガスが油中に溶け込む。当サイトのキュービクル更新タイミングガイドでも触れた通り、この検査は内部の突発的な異常を検出する手段として非常に有効だ。
ただし、この検査が得意とする領域には輪郭がある。油中ガス分析が答えられるのは「内部で異常な発熱や放電が今まさに起きているかどうか」という問いであって、「絶縁油そのものは、あとどれくらい健全な状態を保てるか」という問いではない。異常なし、という判定は事故につながる突発的な兆候が今のところ見当たらないことの証明であり、絶縁油自体の緩やかな酸化の進行度までは語っていない。この抜け落ちを埋めるのが、酸価と水分量という二つの診断だ。
2. 酸価とは何を数えているのか
絶縁油の主成分は炭化水素である。変圧器の内部には、鉄心やコイルの巻線といった裸の金属面が絶縁油に直接触れる形で存在しており、ここに酸素や水分が接触した状態で運転中の温度上昇が加わると、金属が触媒のように働いて酸化反応が進む。こうして生成された脂肪酸をはじめとする有機酸が、油1gあたりどれだけ蓄積しているかを、中和に必要な水酸化カリウムの量(mg数)で表したものが全酸価だ。
JIS C 2101(電気絶縁油試験方法)の全酸価試験(項番16)では、試料をトルエン・エタノールの混合溶剤に溶かし、指示薬を加えたうえで水酸化カリウム標準液を滴下し、中和が完了するまでに要した量から酸価を算出する。手順自体は昔ながらの滴定法にすぎない。しかしこの一つの数値の背後には、油がどれだけ酸化という不可逆の反応を経てきたかという履歴が畳み込まれている。運転を続ける限り金属との接触は避けられない以上、酸価はゼロには戻らず、あとは進行の速さをどう管理するかという問題になる。
3. なぜ酸化の進行が問題になるのか
酸価が上がること自体を、漠然と「劣化のサイン」としか捉えていない現場は少なくない。実際に起きているのは二つの現象だ。一つは、蓄積した有機酸そのものが絶縁油の電気的な特性を直接押し下げること。もう一つは、酸化が進展すると絶縁油と金属やコイル絶縁物が化合し、泥状のスラッジを生成することだ。スラッジはタンク内部やラジエーター表面に付着して冷却効率を落とし、冷却が悪くなれば運転温度が上がり、温度が上がればさらに酸化が進みやすくなる。酸化と温度上昇は互いを後押しする関係にあり、これが酸価の管理を「一度測って終わり」にできない理由でもある。
目安として、全酸価が0.2mgKOH/gを超えたあたりからスラッジが生成しやすくなり、絶縁油の電気的特性が著しく低下するとされる。この数値は「電気絶縁油保守管理指針」に基づく保守管理基準として、複数の分析事業者の技術資料に共通して示されているものだ。数値そのものは小さく見えるかもしれない。だが0.2という値は、油が正常な状態から要注意の領域へ踏み出したことを示す境界線であり、これを超えたあとの進行は決して穏やかではない。
4. 水分量が絶縁破壊電圧を押し下げる仕組み
酸価が「じわじわ蓄積する劣化」だとすれば、水分量はもう少し急な顔を見せる指標だ。絶縁油に溶け込んだ水分は、含有量がある水準を超えたところから、絶縁破壊電圧を緩やかにではなく急激に押し下げる。目安として水分量が30〜40ppmを超えたあたりから絶縁破壊電圧の低下が立ち上がり、保守管理基準では40ppm以上を劣化と判定する運用が案内されている。測定にはカールフィッシャー試薬を用いた電量滴定法、またはこれと同等の容量滴定法が使われ、いずれもJIS C 2101の水分試験(項番20)に規定がある。
水分と酸価は、別々の数字に見えて、実は同じ酸化反応の中でつながっている。絶縁油の酸化は酸素・水分・熱という三つの要因が揃うことで促進されるとされており、水分量の管理を怠ることは、間接的に酸価の上昇を早める条件を放置することでもある。片方の数値だけを見て「まだ大丈夫」と判断すると、もう片方に効いている要因を見落としかねない。
5. 酸化は絶縁紙にも及ぶ——もう一つの時間差
酸価・水分量が見ているのは絶縁油そのものだが、変圧器の内部にはもう一つ、油に浸された絶縁紙という要素がある。絶縁紙が熱や酸化の影響で劣化すると、一酸化炭素・二酸化炭素・フルフラールといった分解物が生成され、これらは絶縁油中に溶け出す。この生成量を分析することで、絶縁紙の劣化度合いを間接的に推定できる。目安となる管理基準では、CO+CO2の生成量が0.42ml/g未満なら正常、0.42〜1.7ml/gで要注意、1.7ml/gを超えると危険域とされる。絶縁紙の平均重合度は新品時で800〜1000程度あり、これが400〜500まで下がり、引張り強度が初期値の60%に落ちた段階で寿命と判断される。
ここで見えてくるのは、絶縁油の酸化と絶縁紙の劣化が、無関係な二本の時計ではないということだ。どちらも酸素・水分・熱という同じ環境要因にさらされており、油の酸価が示す進行と、紙の重合度が示す進行は、根は同じところから伸びている。酸価・水分量の診断が「油そのものの寿命」を映す鏡だとすれば、絶縁紙の劣化診断はその奥にある「巻線を支える構造材の寿命」を映す、もう一段深い鏡だ。
6. 二つの検査は、別の時間軸を見ている
酸価・水分量の診断と、冒頭で触れた油中ガス分析は、どちらも「絶縁油を調べる検査」という点では同じに見える。しかし両者が向き合っている時間軸はまったく違う。油中ガス分析が捉えようとしているのは、局部過熱や部分放電といった、ある瞬間から進行が始まる異常——いわば事故の予兆だ。一方で酸価・水分量が捉えようとしているのは、運転を続けているだけで年単位のスケールで進行する、絶縁油そのものの経年劣化である。
変圧器メーカーの技術資料でも、この二つは別の診断項目として整理されている。全酸価・絶縁破壊電圧・水分量・体積抵抗率・色相を測る「絶縁油特性試験」と、CO・CO2・フルフラール・アセトンを定量分析して絶縁紙の劣化度合いを推定する診断は、目的も判定基準も別物として扱われている。さらに言えば、油中ガス分析という括りの中にも、局部過熱や部分放電そのものを検出する診断と、前節で見た絶縁紙の劣化を間接的に推定する診断という異なる目的が同居している。「油中ガス分析さえしていれば設備の状態はわかる」という理解は、いくつもある時間軸のうち一つしか見ていない状態に近い。事故の予兆を追う検査、紙の寿命を映す検査、そして油そのものの寿命を追う検査。この三つが揃って初めて、絶縁油と変圧器全体の状態を立体的に把握できる。
7. 数値が動いたとき、何をするか
酸価・水分量の測定値が正常範囲にある間は、試験周期は3年程度で運用してよいとされる。ところが一度でも要注意域に入ったら、この周期を1年ごとに縮めて経過を追うことが推奨される。単発の数値の合否ではなく、前回・前々回との比較で傾向を見るという発想は、キュービクルの更新タイミングそのものを判断する場面とも重なる。
要処置域まで進んだ場合、絶縁油はろ過・再生、または交換のいずれかで対応する、という運用がJEEAの技術解説でも案内されている。水分やスラッジの前駆物質がまだ軽度であれば、ろ過・精製によって不純物を取り除く「油の再生処理」で電気的特性を回復できる場合がある。しかし酸価の上昇が進み、スラッジの生成が油の色調変化として目視でも確認できる段階まで進行している場合は、再生処理では対応しきれず、絶縁油そのものの交換、あるいは変圧器本体の更新を検討する段階に入る。冒頭のタンクの中で赤茶色に濁っていた油は、まさにこの段階のサインだった可能性がある。それを確定させるのは目視ではなく、次回の測定で出てくる酸価・水分量の実測値だ。
8. 更新・交換の資材調達について
診断の結果、絶縁油の交換や変圧器本体の更新が必要と判断された場合、次に必要になるのは資材の手配だ。「電材サーチ」では、油入変圧器・モールド変圧器をはじめとする高圧受電設備の関連資材を幅広く取り扱っている。診断結果と更新範囲が固まった段階で、品番リストをまとめてお見積り依頼いただくとスムーズだ。
関連するおすすめガイド
- キュービクルの更新タイミング診断|劣化サインの見極め方と『点検合格』の落とし穴
- 絶縁抵抗測定(メガー測定)の正しいやり方と数値の読み方|測定電圧の選び方から原因の切り分けまで
- 電気設備の定期点検・法定点検ガイド|事業者が知っておくべき義務と周期
関連する変圧器・絶縁油・酸価・水分量・診断の品種・型番をお探しですか?
電材サーチでは、メーカー横断で目的の型番を素早く見つけ、そのまま見積もりを依頼できます。