本記事の事例の根拠・確認範囲は、本文の出典と確認記録をご覧ください。
厚生労働省の「職場のあんぜんサイト」に、こういう記録が残っている。病院の新築工事現場、3階の多目的ホールで天井下地材を取り付けていた作業員が、隣接する場所で進んでいた溶接作業の電流によって感電し、死亡した。溶接機の帰線側ケーブル(アースクランプ)は、2階の鉄骨柱に接続されていた。ただし、実際に溶接していたのは3階の天井補強材だった。
この1階分の距離が、事故の出発点の一つになった。
電流は、つながっている場所をすべて経路として使う
アーク溶接は、トーチの先端から母材を通り、アースクランプを経由して溶接機に戻る、閉じた回路を作ることで成立する。電気工事の感覚では当たり前に思えるこの回路が、現場では「アースクランプはとりあえず近くの金属に挟んでおけばいい」という扱いを受けることがある。母材までの距離が多少あっても、金属同士が導通してさえいれば電流は流れる。そう考えるのは、間違いではない。ただし、その考えには一つ抜けている前提がある。電流は、あなたが想定した一本の道だけを流れるわけではないということだ。
厚労省の災害事例の発生状況を読むと、この抜けがそのまま事故の構造になっている。溶接機の帰線側ケーブルは2階の鉄骨柱に接続されていたが、実際の溶接点は3階だった。電流は、溶接棒から天井の軽鉄骨部材へ流れ込んだあと、正規の帰線ケーブルへは向かわず、より抵抗の低い経路――鋼製の棚足場から作業員の身体を経由して、2階の鉄骨躯体へ抜ける経路を見つけてしまった。棚足場と鉄骨躯体の間にはおよそ70Vの電位差が生じ、作業員には2秒間で70mAの電流が流れて心室細動を起こしたと記録されている。
ただし、この事例の原因欄が挙げているのは帰線ケーブルの位置だけではない。鋼製の棚足場にアースを設けていなかったこと、災害の前から電動工具の躯体に火花が出たり電撃を感じたりした作業者がいたのに原因を確かめず作業を続けたこと、発汗で人体の抵抗が下がっていたとみられること、溶接棒を取り付けたままの溶接棒ホルダーを鋼製の作業床に置いていたことが並んでいる。対策欄は、高抵抗始動型の自動電撃防止装置は出力側に不意に高い電圧を生じることがあるとして、低抵抗始動型を選ぶことも求めている。帰線ケーブルの接続位置は、いくつもの要因が重なった事故の中の一つであり、それだけを直せば足りるという話ではない。
一般社団法人日本溶接協会が「溶接時の迷走電流に注意!」という啓発ポスターをわざわざ作って配布しているのも、同じ構造の事故が特定の現場に限らず起こり得るからだろう。ポスターは、母材から離れた場所にケーブルを接続した図と、母材に直接接続した図を並べて示し、前者には赤い×印、後者には緑の○印をつけている。そのうえで「迷走電流により思わぬ場所で感電・発火する事例があります」と注記する。この一文の「思わぬ場所」という表現が、この現象の厄介さをよく表している。迷走電流は、設計者が想定していない経路を勝手に見つけて流れる。
- トーチ先端でアークが発生する
- 電流が母材の中を移動する
- アースクランプが溶接点の近くか遠いかで結果が分かれる
- 近い・確実な場合:正規の帰線経路を通り溶接機へ帰還する
- 遠い・接触不良の場合:抵抗の低い別経路へ分流する(迷走電流)。建屋鉄骨・配管・機械フレームに流れれば感電・発熱・火花、回転機械の軸受に流れれば軸受内部でスパーク発生、制御盤の接地線・シールドに流れれば接地電位の乱れ・機器の異常につながる
なぜ「できるだけ近くに」なのか
ダイヘンの溶接電源DM350の取扱説明書は、可燃物に関する注意事項として次のように書いている。「母材側ケーブルは、できるだけ溶接する箇所の近くに接続してください」。同じ項には、その理由も併記されている。「ケーブルの不完全な接続部、および鉄骨などの母材側電流経路に不完全な接触部がある場合は、通電による発熱で火災につながる恐れがあります」。
この一文を読んで、火災対策の話だと片付けてしまうと、迷走電流という現象の半分しか捉えられない。不完全な接触部で発熱するのは、そこに電流が集中して流れているからだ。裏を返せば、電流経路のどこかに抵抗の高い箇所(塗装された金属面、緩んだ接続、細い経路)があれば、電流はそこを避けて、別のもっと抵抗の低い経路――たとえば太い鉄骨や、大きな金属フレームで組まれた機械――へ回り込む。母材側の電流経路を溶接点の近くに限定するというのは、この「回り込み」が起きる余地そのものを物理的に小さくする対策だということになる。
母材に電気工事士による正規の接地工事が施されていることも、ダイヘンの説明書は別項で求めている。溶接電源のケースや母材、母材と電気的に接続された治具は、電気工事士の資格を持つ者が法規に従って接地工事を行うべきだとされる。説明書はこの箇所に電気設備技術基準第15条を添えているが、同じ説明書の関連法規一覧では、第15条は「地絡に対する保護対策」、接地そのものは第10条「電気設備の接地」である。具体的な工事方法は電気設備の技術基準の解釈が定めており、第190条(アーク溶接装置の施設)は、被溶接材とこれに電気的に接続される治具・定盤等の金属体にD種接地工事を施すことを求めている。接地とアースクランプの接続位置は別の要求だが、どちらも「電流がどこを通るかを、施工側が制御できる状態に保つ」という一点に収斂している。
ここで一つ、誤解しやすい点がある。母材や機械のフレームがきちんと接地されていれば、迷走電流の問題は解消すると考えたくなるが、そうとは限らない。感電防止のための接地(D種接地など)が担っているのは、地絡が起きたときに人体にかかる電圧を安全な範囲まで下げる役割であって、正規の帰線経路以外に電流そのものが流れ込むことを防ぐ役割ではない。むしろ、複数の設備が同じ接地系統・同じ鉄骨に確実につながっているほど、迷走電流にとっての「使える迂回路」は増える。電流は、正規の経路と迂回路のそれぞれの電気抵抗の比に応じて分かれて流れる。迂回路側の抵抗が正規経路より低ければ低いほど、そちらに流れ込む電流の割合は大きくなる。アースクランプを溶接点の近くに接続するというのは、正規経路の抵抗を迂回路よりも確実に低く保ち、この分流そのものを起こさせない対策だと言い換えられる。
その電流が回転機械の軸受を通ったら
ここまでは、鉄骨や配管という「線」を電流が通り抜ける話だった。もう一段厄介なのは、その経路の途中に、意図せずモーターやポンプの軸受(ベアリング)が挟まってしまう場合である。
軸受メーカーのNTNは、軸受の損傷分類の一つとして「電食」を挙げ、その原因を「軸受内を電流が通過してスパークし、軌道表面が溶融するため」と説明している。現れる症状は、表面が一見なし地状に見えるだけの微細なピットの集合から、進行すると波板状の凹凸になるところまで幅がある。ジェイテクト(Koyo)も同様に、電食を「回転中の軸受の内部に電流が通過した場合に、転がり接触部分の非常に薄い油膜を通してスパークが発生し、表面が局部的に溶解したため、一見するとピッチング状となった現象」と定義し、対策として「軸受に電流を通過させないようなバイパスを設置する」「軸受の絶縁を行う」の二つを挙げている。
この説明を読んで、少し引っかかるところがあるかもしれない。両社の技術資料が主に想定しているのは、インバータのPWM制御が生む軸電圧――モーター内部で完結する電気的な現象――であって、外部から飛び込んでくる溶接の迷走電流ではないからだ。ただし、電食という現象そのものの定義に立ち返ると、原因は問われていない。「軸受内部を電流が通過し、薄い油膜がスパークで絶縁破壊されて軌道面が溶融する」というのは、あくまで電流と油膜と金属の物理反応であり、その電流がインバータの軸電圧由来であろうと、たまたま回り込んだ溶接の迷走電流であろうと、条件さえ揃えば同じ損傷が起きる。軸受という部品にとって、電流の出自は関係がない。
つまり、モーターやポンプのフレームが、迷走電流の抵抗の低い迂回路の一部になってしまった場合、その電流は軸とハウジングの間、すなわち軸受の中を通って初めて反対側のフレームへ抜けられる。ここで軸受内部の油膜が絶縁破壊されれば、通常のインバータ由来の電食とまったく同じ見た目のピッティングやフルーティングが刻まれる。溶接作業そのものは何の問題もなく完了しているように見え、後日ベアリングの異音や早期の摩耗として症状が出てくるまで、原因が特定できない。
制御盤やセンサーへ及ぶ影響
軸受のように目に見える部品でなくても、迷走電流が通り得る経路には、制御盤の接地線やシールドケーブルの外皮も含まれる。厚労省の事例が示すように、電気的に導通している金属はすべて経路の候補になり得るという前提に立てば、盤の筐体と機械フレームが同じ鉄骨・配管系統でつながっている場合、その系統に生じた電位の乱れが接地電位の基準そのものを揺らがせることは十分にあり得る。シールドケーブルの両端接地が地電位差でノイズを誘起する仕組みは別の記事で扱っているが、迷走電流はそれよりも大きな電流と電位差を、瞬間的とはいえ持ち込む点で性質が異なる。センサーの誤検知や通信の一時的な乱れが、原因不明のまま「たまたま」で片付けられているケースの中に、こうした迷走電流が紛れていないとは言い切れない。
なぜ気づきにくいのか
この事故構造がやっかいなのは、溶接作業自体が正常に完了する点にある。ビードは狙い通りに入り、検査でも問題は見つからない。壊れるのは、その場にいなかった別の設備であり、しかも軸受の電食のように、症状が出るまでに時間がかかる損傷であることが多い。作業日誌に「溶接作業実施」とだけ書かれ、数週間後に別の部署からベアリング異常の報告が上がってきたとき、両者を結びつけて考える人はまずいない。
疑いを持てたとしても、後から迷走電流の存在そのものを裏付けるのは簡単ではない。溶接が終われば電流も消えているからだ。現実的な手立ては、事後の検証ではなく事前の点検に寄せることになる。本来なら電流がほとんど流れていないはずの接地線やPE線(保護接地線)に、溶接作業中だけクランプメーターを当てて電流が検出されるようなら、それは正規の帰線経路以外に電流が回り込んでいる証拠になる。疑わしい設備が近くにある大掛かりな溶接工程の前には、こうした簡易的な確認を計画に組み込んでおくと、事後になって原因不明の故障に頭を悩ませずに済む。
現場のチェックリスト
- アースクランプは、溶接する箇所からできるだけ近い、塗装や錆を除去した金属地肌に接続しているか
- アースクランプの接続先が、建屋の鉄骨・配管・機械フレームなど「別の設備につながっている金属」になっていないか
- 母材およびそれに電気的に接続された治具の接地工事(D種接地工事)が、法規(電気設備技術基準第10条、解釈第17条・第190条)に従って行われているか
- 近隣に回転機械(モーター・ポンプ)や制御盤がある環境で溶接する場合、それらのフレーム・接地系統が溶接箇所と共通の金属経路でつながっていないか事前に確認したか
- 溶接作業中に電撃や火花などの異常を感じた作業者がいた場合、原因を特定するまで作業を中断する手順が周知されているか
- 溶接を中断するときは溶接機の電源を遮断し、溶接棒ホルダーから溶接棒を外しているか(通電状態のホルダーを鋼製の床や足場に置かない)
- 鋼製の足場の上で溶接する場合、足場を接地しているか
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「溶接機の増設に合わせて、確実に導通が取れるアースクランプや帰線ケーブルを見直したい」「制御盤や回転機械の近くで溶接工程が入る設備更新の相談をしたい」という設備担当者・電気工事店様。
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